2009年07月02日

THE WRESTLER

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「レスラー」観てきました。
まずはネタに触れない部分から感想書きます、というか書かせてください(笑)

最初にミッキー・ロークの変貌ぶりにビックリ。
80年代に「エンゼル・ハート」や「ジョニー・ハンサム」などで色気のある男を演じてたローク。特に「エンゼル・ハート」はラポン(当時学生)の情緒教育においてかなりのショックを与えた作品です。
その頃のロークは今のジョニー・デップに匹敵するくらいの人気があったかと(オーバーか?)。まぁ私生活の部分では180度違うみたいですが。

それから一念発起のボクサー転向(挑戦?)を境にしての長い低迷期。

で、久しぶりに「シン・シティ」で見たときは特殊メイクで分からなかったけれど、「レスラー」で見たロークは時代の流れを感じさせる哀愁漂う風貌(要はおっさん)になっててまるで別人。
でもその長髪の出で立ちと、やけにダメージを感じさせる肉体が下手なプロレスラー以上にプロレスラーのイメージでした。
スタントの人もいるだろうけど、ローク自身がかなり体を張ったアクションをしているようで、これは新しいローク像を構築したかもとこれから楽しみになってきます。
各国の映画賞でも評価されているみたいなので、これをチャンスにロークの活躍の幅が広がると嬉しいですね。

作品自体はとても興味深いです。
まず必要以上に(要はリング外でも)こだわってます。監督は運命共同体の寄り合い所帯のようなアメリカインディープロレスの現実を時に滑稽に、時には微笑ましく掘り下げて見せてくれます。
もちろんそれは決して映像化されなかった部分なのですが。
これをさらけ出してしまった監督がどこまでプロレス好きかどうかは微妙なところですが、この作品はプロレスの世界の非現実ぶりをうまく表現していると思います。

プロレス自体のシーンもやたらこだわっている(特にハードコア)のでドキュメント的な見方でも充分通用する映画ですね。


おっと、ここから先はストーリーとともにネタに触れている部分があるのでまだ鑑賞されていない方は避けたほうが良いです。
PCで見られている方は追記にしてありますが、ケータイの方はご注意を。

ロークが演じたのはプロレスでしか生きられない不器用でどうしようもない男、ランディ"ザ・ラム"ロビンソン。レスラー仲間からはリスペクトされているものの、かつての栄光にすがって週末はドサ回りな巡業、平日はアルバイト。
それでも家賃を滞納し、体への負担を覚悟してまでも様々な痛み止めや筋肉増強剤(ステロイドですかね)を購入しプロレスラーとしての肉体を維持させるランディ。
家族とは何年も疎遠で知り合いと言えばプロレス関係者、そして唯一の理解者であるストリッパーのキャシディだけ。

そう、ランディは誇りを失えずにあがき生き続ける男。その誇りの残りカスが人生を狂わせているのだとしても彼は自分がランディ"ザ・ラム"ロビンソンである事を止められない。
そしてついに長年の蓄積した薬物等のダメージから彼の心臓は悲鳴を上げるが、手術によってかろうじて一命を取り留める。

ドクターストップがかかり、これによってようやくプロレスから決別できるかと思われたランディだったが修復しかけた娘との関係は再び破綻し、お互いを想いながらもキャシディとも生きる道を選べず...。

「心臓の痛みよりも外の現実のほうがオレには痛い」

残ったのはプロレスラーとしての自分。彼はアルバイトを放棄し一度は断ったかつての宿敵ジ・アヤトラーとの再戦のリングへと上がる。命を賭してまで自らの居場所を求めるのであった。

「レスラー」は一見すると「男の誇り」を描くヒューマンドラマとして評価されているけれど、個人的にはランディはプロレスという世界で演出されたピーターパンのように感じられた。
彼ににとっては観客の声援を浴びるリングの上こそが全てが叶う場所。そこにいる限り彼は超人、ヒーロー。
ランディにとってプロレス界は離れがたい、それこそネバーランドのようだ。

実際プロレスという名の共存社会、その舞台裏は汗と血にまみれるリング上とは裏腹にまるで寄り添うように優しくランディを包み込む。落ちぶれても思い通りの世界。正直とても居心地が良さそうだ。

しかし同時にランディはサイン&握手会でかつての名レスラーたちのボロボロになった姿を見せ付けられる。まるで自分の数年後のように。
身体に代償を求めるプロレスでは永久にネバーランドにはいられないのだ。

しかも一歩社会に出てみればあまりにも冷酷な現実が待ち受ける。やっと分かり合えたと思えた娘との確執、キャシディとのお互いを大事に思うが故のすれ違い。

そしてこの話は悲しい(であろう)結末に向ってゆく。ランディは、ままならない世界からの決別を選び永遠にネバーランドに居続ける道を選んだ、そう感じた。

でも、正直これは美化され過ぎのような気がする。現実逃避のようにさえ思え若干後味が悪い。
なぜなら上で書いた娘とキャシディに対する「諦め」があまりにも簡単だったからだ。心臓に爆弾を抱えている事で一層悲観的な方向に進んだ事は分かるが残された彼女達の後悔まで考えただろうか。

それにアメリカと日本のプロレスの本質がどれだけ違うのかは分からないがこの話ではファンは完全に置いてけぼりになってしまっている。
しかもランディの症状の悪化は試合中に隠せないほどに出てしまっている。もしあの後ランディが死んだのだとしたらファンの喪失感は計り知れない。

プロレスラーは生きるべきだと思う。家族のために、仲間のために、ファンのために、何より自分自身のために。
生きることで生き様を見せるべきだと。
命を落とすというのは選択支に無いはず。死にたくない、もしくは死ぬつもりが無いからこそプロレスラーは技術を磨くんだろうから。

危険の中で命の大切さを表現する事こそプロレスラーの魅力だと思うから。

少なくともプロレスファンとして自分はそう思う。
ここ最近の出来事があるからこそ余計に。

プロレスラーは死んで英雄になんかならない。例え伝説にはなっても。

だからこそ「レスラー」には自分が好きな映画の一つである「グラディエーター」に代表される名誉ある死とは違う身勝手なものを感じた。
もちろんミッキー・ロークの役に懸けた情熱は素晴らしい。彼の演技が本物のプロレスラーとダブって見えたからこそ、ここまで考えさせられる深い物語になったのは間違いない。

もしこの映画にエンディングの先があるなら生き残りプロレスラーとしてはかっこ悪くリタイアしたが、娘とキャシディに囲まれて幸せに生きるランディも見てみたい気がする。

...そうか、それでいいかもしれない。必殺技「ラム・ジャム」の先は一人ひとりが想像してもいいのだ。

やっぱりプロレスは映画でも奥が深い。

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ちなみに主題歌の「ザ・レスラー」を歌うのは、これまた年齢と共に渋みが増すブルース・スプリングスティーン。
彼は「ボーン・イン・ザ・U.S.A」や「ダンシン・イン・ザ・ダーク」などの明快なロックを送り出し大ヒットした80年代から、90年代に入って「ストリーツ・オブ・フィラデルフィア」などの楽曲に代表されるように次第に深みを増し、今回この「ザ・レスラー」のようなメッセージ性を持つ曲を完成させました。また個人的に彼のフェイバリットソングが増えました...いい曲です。

ランディも酒場で「80年代最高!」とキャシディの前で踊るシーンがある(劇中もガンズ・アンド・ローゼズやラットなどが流れてます)など、この映画はミッキー・ローク、ブルース・スプリングスティーンという80年代にブレイクした才能とともにランディ・ロビンソンという男の栄光と悲哀をを強く印象付けます。

このあたりの時代がツボの方は更に楽しめますよ。
posted by ラポン at 23:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 趣味→プロレス←日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
21世紀はプロレスラーも健康でなくちゃね。まぁ〜ビリーさんはお元気そうね。ビリーさん素敵ね!でも、ちょっと切ない目をしたレスラーも魅力なのよね〜。タコさんがそうなの!休んでらしたでしょ。テッドさんの追悼興行のメインの試合を観てるタコさんの目がキラキラ輝いてとっても楽しそうだったの!気持ちがホッとしました。
Posted by 猫 at 2009年07月04日 02:31
>猫さん

プロレスラーは丈夫じゃなきゃいけないですよね(〃^∇^)q
大阪プロレスは平日も大会があるので大変ですが頑張って暑い夏を乗り切って欲しいなと

もちろん王子にはコスチュームも目もキラキラ輝いててもらいたいです!
みんなで応援しましょ♪
Posted by ラポン at 2009年07月05日 02:06
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